3つの反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 09:30 UTC 版)
1418年から1420年にかけて、アナトリアとバルカン半島のオスマン領で宗教反乱が起きる。 エーゲ海沿岸部のカラブルン半島(英語版)でトルコ人イスラム教徒ベルクリュセ・ムスタファとユダヤ人のラビ・トルラクらが、かつてムーサーの保護を受けていたシェイフ・ベドレッディンの思想に共鳴して反乱を起こし、彼らはイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の統合を主張していた。 当のシェイフ・ベドレッディンは、メフメトの即位後にイズニクに送られていたが、ムスタファらが反乱を起こした後にイズニクから脱走し、ワラキアのデリオルマンに移動した。ワラキア公子ミハイル(英語版)の支援を受けたベドレッディンは、デリオルマンで反乱を起こし、メフメトによってバルカン半島に強制移住させられたテュルク系の遊牧民らも反乱に参加した。 カラブルン半島での反乱は息子のムラトによって鎮圧され、ベドレッディンは大宰相のバヤズィト・パシャによって捕らえられ、処刑された。メフメトは自分の兄弟であるムスタファを名乗る人物の討伐に向かう。 1419年にバヤズィト1世の王子ムスタファを名乗る反乱者(偽ムスタファ)が現れ、ジュネイトが偽ムスタファの元に合流する。 メフメトは両者を破り、偽ムスタファはコンスタンティノープルに亡命した。偽ムスタファの亡命先であるビザンツ帝国に対しては、オスマン側が毎年一定額の費用を支払うことを条件に、ムスタファを監視下に置く取り決めがなされた。
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