初代「シェイクスピア・アンド・カンパニー」とは? わかりやすく解説

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初代「シェイクスピア・アンド・カンパニー」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 03:18 UTC 版)

シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」の記事における「初代「シェイクスピア・アンド・カンパニー」」の解説

初代のシェクスピア・アンド・カンパニーは、ニュージャージーから移住してきたアメリカ人女性シルヴィア・ビーチによって1919年開かれた。場所は当初はデュプイトラン通り8番地で、1921年5月オデオン通り12番地に移り以後1941年閉店までこの場所にあった。この店は書店であると同時に貸し出し可能な図書室としても機能しており、扱われる書物ビーチ自身鑑賞眼反映した洗練されたものであったシルヴィア・ビーチ店主務めた初代シェイクスピア・アンド・カンパニーは第二次大戦期までパリにおける英米文学モダニズム文学中心地であり、アーネスト・ヘミングウェイエズラ・パウンドスコット・フィッツジェラルドガートルード・スタインジョージ・アンタイルマン・レイ、そしてジェイムズ・ジョイスなどがこの書店多くの時を過ごした。シェイクスピア・アンド・カンパニーは、ヘミングウェイの『移動祝祭日』で店の常連たちとともに繰り返し言及されている。この店の愛顧者は、D.H.ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』のように英米発禁になった書物手に入れることができた。 シルヴィア・ビーチのシェイクスピア・アンド・カンパニーは1922年アメリカ合衆国イギリス発禁処分受けていたジョイスの『ユリシーズ』の最初の出版元となり、以降の『ユリシーズ』の続刊は「シェイクスピア・アンド・カンパニー」のインプリント元に出版された 。 オデオン通りのシェイクスピア・アンド・カンパニーは1941年12月第二次世界大戦中枢軸国によるフランス占領のために閉店したショーウインドー展示してあったジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を買いたいというドイツ人将校申し出断ったことがその原因となった。この本はシルヴィア・ビーチ所有する最後の一冊であったオデオン通りにあったこの店は以降二度と再開することはなかった。

※この「初代「シェイクスピア・アンド・カンパニー」」の解説は、「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」の解説の一部です。
「初代「シェイクスピア・アンド・カンパニー」」を含む「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」の記事については、「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」の概要を参照ください。

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