初代「シェイクスピア・アンド・カンパニー」
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「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」の記事における「初代「シェイクスピア・アンド・カンパニー」」の解説
初代のシェクスピア・アンド・カンパニーは、ニュージャージーから移住してきたアメリカ人女性シルヴィア・ビーチによって1919年に開かれた。場所は当初はデュプイトラン通り8番地で、1921年5月にオデオン通り12番地に移り、以後1941年の閉店までこの場所にあった。この店は書店であると同時に貸し出しの可能な図書室としても機能しており、扱われる書物はビーチ自身の鑑賞眼を反映した洗練されたものであった。 シルヴィア・ビーチが店主を務めた初代シェイクスピア・アンド・カンパニーは第二次大戦期まで、パリにおける英米文学とモダニズム文学の中心地であり、アーネスト・ヘミングウェイ、エズラ・パウンド、スコット・フィッツジェラルド、ガートルード・スタイン、ジョージ・アンタイル、マン・レイ、そしてジェイムズ・ジョイスなどがこの書店で多くの時を過ごした。シェイクスピア・アンド・カンパニーは、ヘミングウェイの『移動祝祭日』で店の常連たちとともに繰り返し言及されている。この店の愛顧者は、D.H.ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』のように英米で発禁になった書物も手に入れることができた。 シルヴィア・ビーチのシェイクスピア・アンド・カンパニーは1922年、アメリカ合衆国とイギリスで発禁処分を受けていたジョイスの『ユリシーズ』の最初の出版元となり、以降の『ユリシーズ』の続刊は「シェイクスピア・アンド・カンパニー」のインプリントの元に出版された 。 オデオン通りのシェイクスピア・アンド・カンパニーは1941年12月、第二次世界大戦中の枢軸国によるフランス占領のために閉店した。ショーウインドーに展示してあったジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を買いたいというドイツ人将校の申し出を断ったことがその原因となった。この本はシルヴィア・ビーチが所有する最後の一冊であった。オデオン通りにあったこの店は以降二度と再開することはなかった。
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