分割の確定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 04:19 UTC 版)
「インド・パキスタン分離独立」の記事における「分割の確定」の解説
イギリスも当初はヒンドゥー教徒の多い地域にヒンドゥスタン、イスラム教徒の多い地域にパキスタン、そして各藩王国を残し、この三者で「インド連邦」を構成する独立案を構想していたが、合意は得られなかった。 そこでイギリス領インドの最後の総督ルイス・マウントバッテンはインドを一体とする計画を諦め、1947年6月4日、イギリス領インド帝国を「インド」と「パキスタン」に分割することによる独立(インド高等文官、インド軍、インド鉄道の分割を含む)を、同年8月15日をもって行う案を声明した。 また、独立後の統治の暫定的な枠組みをイギリス議会が制定した1935年インド統治法によって行うことも含まれていた。7月18日に施行された1947年インド独立法(英語版)(→インド憲法#1947年インド独立法)は、イギリス領インドをインドとパキスタンの2つの新しい国に分割し、それぞれの国の憲法(インド憲法およびパキスタン憲法(en))が施行されるまでイギリス連邦の自治領(ドミニオン。カナダやオーストラリアと同じ地位で、国際法上の独立国)とすることを定めた。
※この「分割の確定」の解説は、「インド・パキスタン分離独立」の解説の一部です。
「分割の確定」を含む「インド・パキスタン分離独立」の記事については、「インド・パキスタン分離独立」の概要を参照ください。
- 分割の確定のページへのリンク