分割・3町村への編入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 03:53 UTC 版)
昭和の大合併でははじめ、野方村・百引村・市成村・高隈村の4村を合併し、人口2万人規模の町を誕生させる案が鹿児島県から示された(後に高隈村を除いた3村の案となる)。 これに対し野方村内では小学校区ごとに異なる意見が出された。荒谷小学校区では「大隅町への合併」、山重小学校区では「西志布志村(後の有明町)への合併」、野方小学校区・立小野小学校区では「大崎町への合併」が多数を占めた。合併問題は村長のリコール問題までに発展したが、1955年3月8日に村議会により3地区の分割・編入が決定。同年4月1日に野方村は分割・編入され廃止した。 鹿児島県は野方村・大崎町・西志布志村内の飛地の解消も提案していた。しかし「飛地であることへの不便がない」と各地域の強い反対により実現せず現在に至る。 平成の大合併では大崎町は単独町制を維持、有明町(旧西志布志村)は周辺2町と合併し志布志市に、大隅町も周辺2町と合併し曽於市となった。 1955年4月1日 - 大隅町、西志布志村、大崎町へ分割編入され消滅。
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