出光佐三の収集とは? わかりやすく解説

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出光佐三の収集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:45 UTC 版)

出光美術館」の記事における「出光佐三の収集」の解説

出光佐三美術品収集は、江戸時代禅僧仙厓義梵書画から始まった出光佐三19歳の時、郷里福岡でたまたま訪れた古美術売り立て会場仙厓の「指月布袋画賛」(しげつほていがさん)に出会い父親頼んでこの作品購入した。月を指差す布袋軽妙なタッチ描いたこの作品は、現在も出光美術館代表的な所蔵品一つとなっている。以後、約千点にも及ぶ仙涯作品収集するが、出光仙涯普門円通禅師という高名な禅僧だと知るのはずっと後のことで、当時はただ好きで集めたという。出光は、第二次大戦以前には、個人的に交友のあった小杉放菴洋画家)、板谷波山いたやはざん陶芸家)などの作品収集のほか、大分出身文人画家田能村竹田たのむらちくでん)の作品九州代表する陶芸一つである唐津焼などを収集していた。第二次大戦以後収集の幅も広がり東洋古美術のみならずフランスフォーヴィスム画家ジョルジュ・ルオーや、抽象絵画サム・フランシス絵画コレクション加えられた。 1966年昭和41年)に出光美術館開館し1972年昭和47年)には財団法人化された。出光美術館では館蔵品の展示のほか、「アンドレ・マルロー永遠日本」展、「宗像沖ノ島」展などの特別展積極的に開催してきた。出光収集19歳の時から没年まで70年以上にわたって続けられた。出光没年1981年入手した最後収集品は、19歳時に最初に入手したのと同じ仙厓作品である『双画賛であった。この絵には「鶴は千年亀は万年、我は天年」という賛が書き込まれており、当時95歳の出光はこの作品最後まで座右置いていたという。 仙厓 ○△□図(款:扶桑最初禅窟) 仙厓 一円画賛(賛:これくふてのめ)

※この「出光佐三の収集」の解説は、「出光美術館」の解説の一部です。
「出光佐三の収集」を含む「出光美術館」の記事については、「出光美術館」の概要を参照ください。

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