処刑を前にした時のもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:49 UTC 版)
処刑前に東條が書き花山教誨師に対して口頭で伝えたものがある。書かれた時期は判決を受けた1948年(昭和23年)11月12日から刑が執行された12月24日未明までの間とされる。花山は聞いたことを後で書いたので必ずしも正確なものではないと述べている。また東條が花山教誨師に読み上げたものに近い長文の遺書が東條英機の遺書として世紀の遺書に収録されている。
※この「処刑を前にした時のもの」の解説は、「東條英機」の解説の一部です。
「処刑を前にした時のもの」を含む「東條英機」の記事については、「東條英機」の概要を参照ください。
処刑を前にした時のもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 14:31 UTC 版)
「東條英機の遺言」の記事における「処刑を前にした時のもの」の解説
以下は処刑前に花山信勝教誨師に対して口頭で伝えたものである。書かれた時期は判決を受けた1948年(昭和23年)11月12日から刑が執行された12月24日未明までの間とされる。花山は、聞いたことを後で書いたので必ずしも正確なものではない、と述べている。 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるが、国内的の自分の責任は、死を持って償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。天皇陛下および国民に対して深くお詫びする。東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には尊敬の念を禁じえない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。 現在の日本を事実上統治する米国人に一言する。どうか日本人の米国に対する心持を離れざるように願いたい。また、日本人が赤化しないように頼む。米国の指導者は大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊した。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。 我ゆくも またこの土に 帰りこん 国に報ゆる事の足らねば — 東条英機大将 遺言(部分)昭和23年12月22日夜 東京巣鴨(23日零時刑執行)
※この「処刑を前にした時のもの」の解説は、「東條英機の遺言」の解説の一部です。
「処刑を前にした時のもの」を含む「東條英機の遺言」の記事については、「東條英機の遺言」の概要を参照ください。
- 処刑を前にした時のもののページへのリンク