再び存廃問題が浮上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 08:06 UTC 版)
しかし、その後も利用者数の減少は続いた。1995年時点での岩泉線の沿線人口は2万人程度で、この時期の岩泉線の1日の利用者数はわずか186人程度と「鉄道の輸送人員とは思えない数字」とも評される始末で、1日1kmあたりの平均輸送密度は1994年時点で94人/日という有様であった。また、この時点で岩泉から盛岡市まではジェイアールバス東北(JRバス東北)と岩手県交通の共同運行により早坂高原線が2時間27分で結んでおり、岩泉から宮古市まででもJRバス陸中海岸線と三陸鉄道を乗り継げば1時間圏内であり、岩泉線の恩恵があるのは岩泉町でも岩手大川駅近辺の地区のみであった。 1995年になって、JR東日本盛岡支社では沿線自治体に対して、岩泉線の今後を考える「勉強会」を申し入れた。JRでは一方的に廃止とは述べていなかったが、沿線自治体ではこれを「廃止通告」と受け止め、さらに山田線の存廃問題にかかわることを警戒し、「宮古広域圏鉄道対策協議会」を設立した上で、JR東日本に対してダイヤ改善やスピードアップなどの要望書を提出した。1996年にはJR東日本から第三セクターへの転換提案などが行われた。1997年には沿線住民の団体が大型観光バスをチャーターして国道340号を走行し、「安全性に問題あり」と表明した。 その後も輸送人員は減少し、2009年度の輸送密度は46人/日にまで落ち込んでいた。これは、JR東日本の在来線全67線はもとより、JRグループ全路線、また、私鉄・第三セクター鉄道を含めた全鉄道路線の中でも最下位となる数字であった。 なお、岩泉駅 - 小本駅(現在の岩泉小本駅)間の陸中海岸線は、2003年4月1日にJRバス東北岩泉営業所と同時に廃止され、岩泉自動車運輸が運行を担当する「岩泉町民バス」へ移管された。
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