兵士との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:36 UTC 版)
元兵士の伊藤桂一は、慰安婦らは「ときには性具のように取扱われはしても、そこにはやはり連帯感のつながりがあった。だから、売りものに買いもの、という関係だけではない、戦場でなければ到底持ち得ない、感動のみなぎる劇的な交渉も、しばしば持ち得たのである」と述べ、当時の兵士と慰安婦たちの人間的な交流があったエピソードを紹介している。 当時の民族差別感情から、慰安婦の中でも朝鮮人慰安婦に対してしばしば酷な扱いがなされた可能性がある。ビルマでの朝鮮人慰安婦について、ある町の慰安婦について、彼女ら自身が兵士とともに自決することを申し出たと主張する話がある一方で、実際にはこれは、慰安婦としての仕事に加えてさんざん看護婦代わりや水運び等にも利用した挙句に兵士らの自決に先立って殺害されたのだというのが真実だとする話を伝える生存兵士もいる。また、中国との南方最前線で玉砕を前にした日本兵による慰安婦の集団殺害を、国民党軍が目撃し、辛くも逃げることに成功した慰安所の女経営者を保護し、従軍していた中国人ジャーナリストが彼女の語る内容を報道している。 歴史学者の吉見義明は、兵士から見れば慰安婦は血なまぐさい戦場で、身近の唯一の女性であり、恋愛を含めた心の交流があったと話す場合が多いが、元慰安婦の証言からはそうした状況はまったく違って述べられているという。慰安婦側から見れば、愛想良く対応しないと殴られる、兵士の求めるような形で応対する事で少しでも楽に「仕事」を済ましたい、将校と仲良くなることで少しでも待遇をよくしてもらいたい、という動機であるとしている。 1944年の米国戦争情報局心理作戦班報告によればビルマのミッチーナーの慰安所では、日本の軍人からの求婚もあり、実際に結婚したもケースも報告されている。このほか、酒に酔った兵に脅された例、逆に刀を刺してしまった例、無理心中させられそうになった例、慰安婦に頼まれて自由にする金を横領した主計将校など様々な逸話がある[要ページ番号]。
※この「兵士との関係」の解説は、「日本の慰安婦」の解説の一部です。
「兵士との関係」を含む「日本の慰安婦」の記事については、「日本の慰安婦」の概要を参照ください。
- 兵士との関係のページへのリンク