兵士とその活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/31 13:47 UTC 版)
衛所の活動形態は、戌軍による守備活動としての守城(捕盗・辺防・海防を含む)と、衛所の経済的基礎をなす屯田行為とが基本であったが、実際には、この基本的類型の衛所だけではなく、そのほかに漕運活動・班軍活動のいずれかを、あるいはその両方を担っている衛所が多かった。 衛所の軍兵は、 太祖起兵時の基本部隊(従軍または従征という) 明初削平された群雄の部隊および元の降軍(帰付または投付という) 罪を犯して軍におとされたもの(謫戌という) 民間の一家五丁あるいは三丁より一兵を徴兵したもの などの方法で集め、軍戸として軍籍につけ、月糧・行糧などの軍餉を受けた。 なお、外衛の軍兵には、 屯軍(軍屯の耕作に従事する兵) 運軍(漕運に従事する兵) 戌軍(守城・巡廻に従事する兵) 班軍(都に交替に上って勤務する兵〈番上〉・辺境に交替で勤務する兵〈番戌〉) などの種類があった。結果的に、軍戸は従軍と労役、屯田して軍需物資の提供、という三役を同時にこなさねばならず、多くが疲弊し、没落を余儀なくされた。また、戸籍からして、軍籍は民籍と分けられており、明の制度上、そこからの離脱は基本的に不可能であり、軍戸に生まれた者は殆ど例外なく永代軍戸を継ぐことが義務付けられた。次第に田畑を売りつくし、一家を挙げて逃散するものが相次ぎ、明も後期になると衛所制は衰退していった。
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