六字名号
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墨書は2010年時点で11幅が確認されており、山梨県のほか長野県、新潟県、東京都などに分布している。年記がないため正確な年代は不詳であるが、白道の廻国・滞在時期から新潟県は明和9年(1772年)頃、東京都は寛政元年(1789年)から寛政6年(1794年)頃、長野県は寛政12年(1800年)頃、山梨県は享和4年(1804年)頃と推定されている。 山梨県では生地である甲州市塩山や晩年に居住した大月市に多く分布するほか、富士吉田市でも発見されている。白道の墨書は白道仏背面の墨書と同じく、笹の葉を連ねた形状の「笹字」を特徴とし、『親鸞聖人笹字縁起』に記される、親鸞が信濃善光寺に参籠し、戸隠山を訪れた際に熊笹の歯で六字名号を並べて六字名号を作った故事に由来していると考えられている。 落款は7種が確認されている。落款の使用傾向は寛政年間には大日如来を示す梵字(アーンク)と「佛法僧寶菱型」を多用しており、享和年間にはそれらの代わりに「佛法僧寶巾着型」を用いていることが指摘される。また、白道仏の作風と同様に六字名号の落款の使用も同じ地域で異なっている例があることから、白道が同じ地域を複数回訪れていたとも考えられている。 新潟県佐渡市両津大川詳細不明。 東京都あきる野市二宮寸法は縦54.0センチメートル、横17.5センチメートル。落款は「アーンク(大日如来)」が3、「壽」が1、「佛法僧寶菱型」が8、「木食」が1、「木食之印」が1。 東京都あきる野市五日市寸法は縦56.0センチメートル、横17.5センチメートル。落款は「アーンク(大日如来)」が3、「壽」が1、「佛法僧寶菱型」が8、「木食」が1、「木食之印」が1。 東京都八王子市恩方町川原宿寸法は縦41.5センチメートル、横16.5センチメートル。落款は「木食之印」が1、「甲斐木食白道」が1。 長野県上伊那郡宮田村北割寸法は不明。落款は「アーンク(大日如来)」が3、「壽」が1、「佛法僧寶菱型」が8、「木食」が1、「木食之印」が1。 長野県駒ヶ根市赤穂上穂町詳細不明 長野県駒ヶ根市下平詳細不明 山梨県大月市七保町浅川寸法は縦117.0センチメートル、横44.2センチメートル。落款は「壽」が1、「木食」が1、「木食之印」1が1、「仏法僧寶巾着型」が9。 山梨円大月市七保町下和田寸法はって56.0センチメートル、横21.5センチメートル。落款は「壽」が1「木食」が1、「木食之印」が1、「仏法僧寶巾着型」が3。 山梨県甲州市塩山上萩原寸法は縦86.2センチメートル、横30.1センチメートル。落款は、「壽」が1、「佛法僧寶菱型」が1、「木食之印」が1、、「仏法僧寶巾着型」が3。 山梨県富士吉田市小明見個人所蔵。紙本墨書。寸法は縦41.7センチメートル、横15.9センチメートル。三ヶ所に「壽」が1「木食」が1「木食之印」が1、「佛法僧寶巾着型」が1と四種類の落款がある。2010年に報告され、「佛法僧寶菱型」が見られないなど落款の使用状況から、白道が大月を拠点に活動していた享和3年頃と推定されている。初めて富士吉田市で確認されたことから、白道の富士信仰に関する資料として注目されている。
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