公団鉄道線の延長と都市計画変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:22 UTC 版)
「千葉県営鉄道北千葉線」の記事における「公団鉄道線の延長と都市計画変更」の解説
小室駅から先の区間の事業を引き継いだ住宅・都市整備公団(現・UR都市機構)は工事を続行し、1984年(昭和59年)、小室から1駅目となる千葉ニュータウン中央駅までの延伸開業を実現した。これにより千葉ニュータウンへの入居に拍車がかかる。しかしこの頃から、ニュータウンの計画人口・面積の見直しが行われ、1986年12月までにそれぞれ17.6万人、1933haに縮小され、都市計画・事業認可の変更認可が完了する(「千葉ニュータウン#千葉ニュータウンの問題と課題」を参照)。 1985年(昭和60年)には、残された区間が「都市交通審議会」を継承した運輸政策審議会答申第7号から削除される。 一方、都営新宿線は1986年までに篠崎駅まで開通し、1989年(平成元年)には本八幡駅まで延びる予定であったが、北千葉線開通の見通しなしに路線を伸ばして採算がとれるのか、都議会議員や関係者からの疑念の声が湧き起こった。そのため、千葉県は路線延長で都を説得し、同時に1990年(平成2年)には市川市、鎌ケ谷市で「北千葉線検討委員会」を設置し、計画の再検討が開始される(「都営地下鉄新宿線#概要」も参照)。 その結果、1992年(平成4年)3月に北総線との併走区間(新鎌ケ谷駅 - 小室駅間)の建設中止、本八幡駅 - 新鎌ヶ谷を県と2市が出資する第三セクターによって将来事業化する方向で決定し、ニュータウン鉄道から鉄道不便地帯、鉄道空白地帯へのアクセス鉄道へと方針転換。10月には北千葉線促進検討委員会が設置された。
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