公国の出現とは? わかりやすく解説

公国の出現

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 05:51 UTC 版)

トヴェリ大公国」の記事における「公国の出現」の解説

ルーシ年代記レートピシ)における、トヴェリ初出1135年である。12世紀から13世紀始めまでは、トヴェリペレヤスラヴリ・ザレスキー公国属す都市だった。公国分領公国としての分離はおそらく、ウラジーミル大公ヤロスラフジョチ・ウルス領内死亡し1246年)、ウラジーミル大公位を継いだスヴャトスラフ(ru)が、死亡したヤロスラフの子ヤロスラフに公位を与えたのが始まりであると考えられている。トヴェリ公位に就いたヤロスラフは、ウラジーミル大公位をめぐる兄アレクサンドルアンドレイ(ru)の闘争介入し自身一時ウラジーミル大公位を得ている。ヤロスラフの後はその子スヴャトスラフ同じく子のミハイルへとトヴェリ公位・公国受け継がれた。ミハイル統治期の初期に、トヴェリ公国軍は侵入してきたリトアニア軍破っている。 ウラジーミル大公位をめぐるコストロマアンドレイペレヤスラヴリ・ザレスキー公ドミトリーとの間に行われていたウラジーミル大公国内戦(ru)に、ドミトリー陣営立って参戦していたトヴェリ公ミハイルは、1293年に同陣営ロストフ公ドミトリー(ru)の娘アンナ(ru)と結婚しカシントヴェリ公国領へと編入された。 また、1295年トヴェリ公国ノヴゴロド共和国と、タタール並びに他の勢力対す防衛協定締結した。これはルーシ諸公国がタタールジョチ・ウルス)に抵抗するために組まれ最初協定であった

※この「公国の出現」の解説は、「トヴェリ大公国」の解説の一部です。
「公国の出現」を含む「トヴェリ大公国」の記事については、「トヴェリ大公国」の概要を参照ください。

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