全慶とアメリカ そして鈴木大拙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:56 UTC 版)
「柴山全慶」の記事における「全慶とアメリカ そして鈴木大拙」の解説
90歳を過ぎた鈴木大拙がアメリカの大学の強い要請を受けて、禅の老師として全慶に渡米を促すこととなった。全慶が固く辞退したため、高齢の大拙が直接南禅寺を来訪し要請することとなった。その時の話はこうであった。 大拙 「柴山さん、ひとつご苦労ですが出掛けて下さいよ」全慶 「この歳になって、わざわざアメリカまで恥をかきに出掛けたくありませんよ」 大拙 「この歳になってと言われるが、私から見れば、あなたはまだ青年ですよ」 そしてこの大拙の「あなたはまだ青年ですよ」の一言で、全慶は渡米を決意したという。また大拙は全慶にこうも言った。 「欧米に禅を思想的に紹介するという仕事は終わった。これからは真の禅僧に生きた禅を示してもらう番だ」 そして、1965年(昭和40年)から1972年(昭和47年)までの8年間、米国ヘイズン財団の招きで「学問でない禅を示す」という主題で、ハワイ大学、クレアモント大学、コルゲート大学等多くの大学を訪れ禅の教えを説かれた。これには津田塾出身で英国航空に勤務していた、才媛の工藤澄子女史の通訳としての協力があったことも忘れることは出来ない。また続けられたことで、コルゲート大学のケネス・モーガン教授と親交を重ねられ、コルゲート大学における「無門関提唱」を下敷きとして「英訳 無門関」が書かれたのである。(福島慶道著 p46)(p55)1969年にアメリカ行きの柴山全慶を3ヶ月に渡ってお供した、弟子の福島慶道(1933-2011 臨済宗東福寺派管長)は、柴山全慶の後任としてアメリカでの禅講義をすることとなった。後年、テレビ番組に出演した慶道は、その頃の経緯に関して、次のように振り返っている。 聞き手「福島さんがアメリカのクレアモント大学で1年間、禅の指導を なさったのが四十歳の時ですよね。」福島「そうですね。若かったですね。」聞き手「この1年間のアメリカでの禅布教の体験というのは、福島さんにとってはどんなものだったのでしょう? 」 福島「大変な体験でしたね。私はその前に1969年に、3ヶ月老師のお供をするわけです。そしてその時の自分の印象では、『自分の語学力では、アメリカへ来ても禅の指導はできない』とこう考えまして、将来、『自分はアメリカに向く弟子を育てよう』と考えておったんでありますが、1973年に師匠の柴山老師から、『お前さん、行け』とこういうふうに 言われましてね。『自分の語学力でダメです。役に立ちません』と言いましたら、『いや、留学で行くんじゃない。坐禅の指導 に行くんだ。だから下手な英語を喋りたくなかったら、1年間 黙って坐禅して来い』。尊敬する師匠にそう言われますと、『あ、そんなものかなあ』と思って、『それじゃ、参ります』と行きました。」
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