入隊以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 20:24 UTC 版)
1973年6月30日、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティの郊外に位置するノーウッド市に生まれる。社交的な性格で、高校時代(ノーウッド高校)はフットボールチームのキャプテンを務めつつ複数の部活を掛け持ちしていた。また後にNFL所属のプロ選手となるマーク・エドワーズにキャプテンの地位を譲った時も敵対はせず、むしろ良き相談相手として友好関係を結んでいたという。卒業後はマウント・セント・ジョセフ大学に入校するが、途中でオハイオ州立大学に転入した。専攻分野は経済学だったが、23歳の時に途中退校している。私生活では妻キャリン・ベイルズとの間に二人の子供を儲けている。 退校後はオハイオ州コロンバスに転居して金融関係のブローカーとして職を得た。しかしこの企業は評判が悪く、ペニーストック市場(投機株市場)でボイラー・ルーム、風説の流布などの問題ある手法を駆使して利益を出していたとされる。暫くしてフロリダ州ドーラルに移り住むと自らの会社(スパータイナ・エドワード共同投資)を立ち上げて独立した。独立前の企業と同じくグレーゾーンを利用した手法で資産運用を行い、退職金管理に絡んだ不正容疑で訴訟を起こされ、仲裁人から140万ドルの賠償金を請求されている。だが訴えを起こした人物のインタビューによれば「彼は賠償金を1ペニーも払っていない」と証言しており 、訴訟側の弁護士は「彼が軍に志願していた時、我々は消息不明になった彼を審理継続の為に捜索していた」と語っている。 上記の証言が示す通り、不正疑惑と訴訟によって2001年頃に彼の事業は破綻し、夜逃げ同然に裁判から逃げ惑う日々を送っていた。そんな状況下で思わぬ転機となったのが2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件であった。
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