入門~初代・木村正直とは? わかりやすく解説

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入門~初代・木村正直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 00:39 UTC 版)

木村越後」の記事における「入門~初代・木村正直」の解説

実父地元相撲集団愛知組の頭取一力三郎で、1871年に親の勧め同郷大坂相撲頭取三保ヶ関八郎部屋入門。初名は木村次郎1873年7月初土俵。しかし兄弟子厳し指導に耐えきれず、一時郷里帰った当時東京相撲脱退した初代高砂浦五郎名古屋改正組を結成1875年にその一員となり、木村庄治郎とも名乗っていた。1878年5月4年余り対立していた高砂改正組仲裁者の仲立ち東京相撲和解復帰することになり、木村二郎(秋治郎)で同場所の別番付記載された。欠場したこともあったが、順調に土俵務め1883年5月木村直と改名1887年1月には上位から9人目にあったこの間師匠高砂の義兄柳川宗助の養嗣子となったが、高砂の弟子だった大達羽左エ門破門問題高砂養父の間で不和生じ両者間に立った二郎1891年1月限り無念に脱退追い込まれてしまった。3年ほど巡業世話人務めた商人ともなっていたが、彼の技量惜し大坂相撲幹部から帰参勧められ復帰1895年9月木村正直初代)改名した。若いながら勝負裁き土俵態度は群を抜き、その見識明晰な頭脳高い評価受けていた。

※この「入門~初代・木村正直」の解説は、「木村越後」の解説の一部です。
「入門~初代・木村正直」を含む「木村越後」の記事については、「木村越後」の概要を参照ください。

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