信頼性の低い伝承者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 15:06 UTC 版)
「ハディース批判」の記事における「信頼性の低い伝承者」の解説
伝統ハディース検証学(ʻilm al-ḥadīth)では、ハディースの信憑性を検証するための主要な手段として、ハディース伝承者のイスナード(伝承経路)が用いられる。しかし、(誤った記憶や操作による破損の機会が少なかった)最古のハディース集のイスナードは「簡素かつ初歩的」であるのに対し、後の「古典的」ハディース集に見られるイスナードは通常「完璧」であり、質の高いイスナードと真正のハディースとの間には相関関係がないことが示唆されている。 米国人ムスリムのイスラム学者ジョナサン・AC・ブラウンによると、20世紀エジプトの学者Mahmoud Abu Rayyaは、信頼性の高いとされる教友からハディースが伝えられることの問題点を指摘している。その一人のアブー・フライラは、ムハンマドの死からわずか2〜3年前(つまり共同体が既に繁栄していた時)にムスリム共同体に加わったにもかかわらず、数多い教友の中でもハディースを「最も多く」伝えた人物であり、彼が聞いたと主張する「何千ものハディース」を伝えるが、これはムハンマドの初期から一緒にいた教友が伝えるよりもはるかに多い数である。Mahmoud Abu Rayyaなどは、アブー・フライラが主張するような何千ものハディースを彼が聞いた可能性は極めて低いと考える。同様に、アブー・フライラがイスラム法や儀礼の詳細を学び、これらの問題に関しハディースの意味を変えないように報告した可能性も低いと考えている。(アブー・フライラは、ユダヤ教の伝承にある過去の預言者にまつわる話、すなわちユダヤ教由来の伝承である「イスラエリヤート(Israʼiliyyat)」に夢中になっていたことでも知られている[以下参照]。) ウマルがカリフ時代にハディースの伝達を禁止したのは、偽書の問題が「非常に深刻になった」ためである。ウマイヤ朝では、敵であるアリーを攻撃したり、王朝の創始者ムアーウィアを支持したりするハディース捏造が国策として行われた。その次の王朝であるアッバース朝は、「歴代の支配者の治世」を予言するハディースを流通させた。誤ったハディースを排除することを仕事とする伝統派学者たちも、自分たちが価値あると考える目的のため、捏造されたハディースを流通させた。
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