信長側近として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/06 06:04 UTC 版)
出身は尾張国とも伊勢国とも言われる。織田信長に仕え、長谷川秀一と共に若年より諸事に用いられた。 初見は元亀元年(1570年)、姉川の戦いに勝利した信長が若狭国に進出した同年11月に若狭国人・本郷泰茂の織田家への降伏を家定が仲介したところに始まる。 初期の頃は信長側近として主に京洛で政務にあたっていた。元亀3年(1572年)10月7日、妙心寺寺領の安堵を奉行の島田秀満・村井貞勝と室町幕府御供衆上野秀政に報告。天正2年(1574年)4月9日、信長の松尾大社への書状に副状を発給するなどの働きが見える。 また、早くもこの頃から側近として地方の家臣に対する命令権を持ち得ていたようで、天正3年(1575年)10月28日には尾張津島の宿老らに蓮台寺から年貢を徴収しないように命じている。政務の他にも天正元年(1573年)11月23日の妙心寺茶会などの行事に堀秀政らと共に信長に近侍して出席したりなどしている。
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