信長の首都(美濃)放棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)
三方ヶ原の戦いの最中、陣中で信玄倒れるも武田軍はそのまま越年し、徳川領野田城を攻める。さらに織田の本拠地美濃に侵攻し放火・略奪を始めた。信長は家臣一同を岐阜城に招聘し、岐阜城を捨て京を拠点とすることを言い渡す。強き武田に岐阜を与え、それ以上の領土を弱き朝倉から奪うことも宣言する。こうして京侵攻が開始され、荒木村重、細川藤孝も味方に加わる。将軍義昭の二条城を攻略し、上京(かみぎょう)を焼く。ところが武田は岐阜に入らないために信長は一旦岐阜に戻る。そして信玄は死す。
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