保険局での仕事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:20 UTC 版)
カフカは1908年から1922年まで、プラハ市内の「労働者傷害保険協会(正式には「ボヘミア王国労働者傷害保険協会プラハ局」)」に勤めていた。主な仕事は諸企業の傷害危険度の査定、分類と、また、企業側から行われる、分類に対する異議申し立て訴訟の処理であり、カフカは当時チェコで最も工業化が進んでいた北ボヘミアのライヒェンベルクとガブロンツを担当し、しばしば数日がかりの出張や工場視察も行なった。後には特に木材部門での事故防止にも従事しており、木工機械の事故防止の為の詳細な図解入りのマニュアルがカフカの手によるものとして残っている。 カフカは有能な職員であり、特に文書作成能力を買われ、1913年に30人の部下を抱える書記官主任に、1920年には秘書官に、1922年の退職直前には秘書官主任にまで出世した。1914年の大戦勃発の際には保険協会から「業務上不可欠」とされて兵役免除を申請されている。1918年にはオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊しチェコ共和国の時代となったが、チェコ語も出来たカフカは解雇を免れた。 心配性だったカフカは、工場現場への視察の際に、万一の事を考えて軍用ヘルメットを着用していた。経営学者ピーター・ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』(上田惇生訳、ダイヤモンド社、2002年)では、ここから安全ヘルメットが普及したとして、カフカを安全ヘルメットの発明者として紹介している。
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