作曲の経緯と改訂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 07:06 UTC 版)
「ハーリ・ヤーノシュ」の記事における「作曲の経緯と改訂」の解説
作品研究によれば、コダーイはパウリニとハルシャーニが書いた台本を1924年頃にはすでに見ていた。その時点では国民劇場で上演されるもっと台詞の多い、より戯曲に近い作品として構想されていた。元々ハンガリーには18世紀に確立した歌芝居形式の音楽劇の伝統があり、民族音楽研究家でもあるコダーイは、この作品でハンガリーの民間音楽と伝統を生かした作品を作ることを意図したと推測されている。 しかし、歌手とオーケストラの制約から王立歌劇場で初演されることとなったため、コダーイは追加で作曲をしなければならなくなり、更に舞台転換の問題が直前で発覚し、他の劇付随音楽の曲を転用するなど、1926年の初演の時点では完成しているという状況ではなかった。初演以降毎シーズン改訂を繰り返しながら、オペラとしての形が確定していった作品である。 初演以降の改訂点・変更点としては下記が挙げられる。 原作では冒険は5つ、オペラ初演時も5つの冒険だったが直後に1つ削除され、現在上演される際は4つの冒険。 序曲は1928年に作曲され、オペラには1931年から追加。 コダーイ存命中の1962年にウニヴェルザール出版が出版したヴォーカルスコアで削除されるなど、録音なども含めて演奏されない形で定着した曲がある。
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