作曲から初演まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 05:16 UTC 版)
「ピアノ協奏曲第4番 (プロコフィエフ)」の記事における「作曲から初演まで」の解説
第一次世界大戦で右腕を失ったヴィトゲンシュタインは、戦後に左手のみで演奏活動を行ったが、そのためのレパートリーを求めて、当時の有名作曲家の数々にオリジナル作品を委嘱した。プロコフィエフもその一人で、委嘱に応じて1931年に協奏曲を完成した。しかし、楽譜を受け取ったヴィトゲンシュタインは礼状で謝辞を述べながらも、「一音たりとも理解できないので弾きません」と断り、実際に演奏することがなかった。このため本作は、プロコフィエフの(完成された)ピアノ協奏曲で唯一生前に初演されなかった作品となった。ヴィトゲンシュタインの拒絶はプロコフィエフを落胆させたが、この理由は表向きで、技術的に至難なため手を付けなかったという説もある。なお、優れたピアニストでもあったプロコフィエフは、他のピアノ協奏曲を全て自身の独奏で初演している。 プロコフィエフは本作を『チェロ協奏曲第1番』と同様に失敗作のように考えており、両手での演奏用に改作することを公言していたが、チェロ協奏曲の『交響的協奏曲』への改作とは異なり実現せずに終わった。 初演はプロコフィエフ死後の1956年9月5日に、ドイツ人奏者ジークフリート・ラップのピアノ、マルティン・リッヒ指揮のベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)によって西ベルリンで行われた。ラップは第二次世界大戦でヴィトゲンシュタインと同様に右手を失ったが、やはり同様に左手のみでピアニストとしての活動を続けようとしてレパートリーを探していたところ、たまたま作品目録でこの協奏曲の存在を知り、プロコフィエフの未亡人ミーラに連絡して楽譜を入手し、初演に至った。 現在では、右手が一時的あるいは恒久的に故障したり欠損したピアニストが、復活公演にこの作品を選ぶことがある。とはいえ、同じくヴィトゲンシュタインのために書かれたモーリス・ラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』ほどには演奏される機会は多くない。
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