余力の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:43 UTC 版)
生産性の向上は庶民生活に余裕を産み出し、識字率の向上や大衆文化の発展に寄与するものとなった。江戸時代農民の長時間労働には、倫理観や経済的必要性に迫られたという面だけではなく、小農自立に伴う隷属からの解放や自立経営の代償という意味も持ち、また労働に対して生活の向上という見返りも見込まれた。中世の農業労働者は多分に隷属的な立場にあったが、小農社会が形成される中で労働の自立性が強まっており、農民は勤労による成果を自らの収入とすることで富の蓄積が可能となり、そこまでいかずとも衣食住の全ての面で生活に向上が見られた。中世には麻布が使われていた衣料は木綿の国内生産の拡大とともに綿布が主流になり、栄養面の改善は平均余命を伸長させた。民家の造りも17世紀中頃を境に姿を変える。それまでは地面に直接柱を埋め込んだ簡単な掘立小屋が一般的であったが、礎石の上に柱を立て土間に代えて板張りの床を使った精巧で長持ちする住居へと変貌を遂げていた。 また生産性の向上は所得の増加に止まらず余暇を産み出し、休日・祭日の増加へ繋がった。近世における休日は村共同体内で決定されるため日数は地域・村落ごとにまちまちであるが、その原型は早いところで17世紀中、遅くとも18世紀中ごろには制定されおおよそ20-30日程度であった。しかし早いところで18世紀後半、大半は19世紀中から休日は増加し、多くは30-60日、最大で仙台藩の80日にまで達していた。
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