体調不良の闘病生活
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その後、ゲーム開発や連載などで多忙を極める。一時期は『ジャンプ放送局』などの傍らでゲームを4本同時に制作していた。1995年には病院で血圧を測ったところ数値が200を越え看護師に驚愕された。そうした中、眼精疲労や頚椎椎間板ヘルニア等により体調を崩し、1982年より続けてきた『ジャンプ放送局』を1995年12月に終了する。 その後、イラスト投稿雑誌『チョコバナナ』の編集長を務めていたが、ある時トイレで突然倒れ病院へ運ばれる。診察の結果、脳内出血と診断され、さらに糖尿病を併発していたことも分かり、そのまま入院することになる。後にさくまは「それまでも周囲に血圧を測れと言われていたらしいが、全く聞く耳を持たなかった」「食事療法(1日1,600キロカロリー)をしたら、それだけで1か月で5kgやせた。昔なら確実に1日3,500キロカロリー食べていた」と振り返っている。 退院後、1年半以上に及ぶリハビリ生活の傍ら、ゲーム制作や『チョコバナナ』の編集、アニメ雑誌『Magazine MEGU』の読者コーナー「☆比喩魔(ほしひゆま)」の編集などを続ける。その様は周囲から「とても病人の仕事のペースじゃない。そもそも病人は仕事しない。」と言われた。その一方で、業界内では重体説や再起不能説が囁かれていたという。ただ、それ以降も三度の食事は基本的に外食で、自宅で食事する際もテイクアウトの弁当などで済ませていることが多く、栄養の偏りや糖分・塩分の過剰摂取について主治医から度々注意を受けている。 1997年、初代『桃伝』から数えてゲーム制作10周年を迎えた。記念として制作された『怪物パラ☆ダイス』には、友人の堀井雄二らがゲーム内に登場するモンスターのデザインを担当した。また、さくまとこれまで関わった先輩・後輩・弟子ら総勢50人の「お祝いメッセージ」が収録され、裏技で見ることが出来る。
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