住宅と操作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:30 UTC 版)
「マーシャル・アップルホワイト」の記事における「住宅と操作」の解説
1970年代末に、この教団は、メンバーの遺産相続か信者達の収入の寄付によるものと推測される多額の金銭を得た。この収入は、住宅を借りるために使われ、最初はコロラド州デンバーに、後にテキサス州ダラスで借りている。アップルホワイトとネトルズは、この時約40名の信者を抱えており、2つか3つの住宅に分かれて居住していた。ただし、指導者である2人は、彼ら自身の家を持っていた。教団は、家の窓を覆い、自分たちの生活様式について外部に対して秘密にしていた。アップルホワイトとネトルズは、信者達がネクスト・レヴェルになるための準備として、軍隊式訓練の様なスタイルへと、信者達の生活様式を変えた。彼らは、この家を「クラフト (craft)」と呼び、信者達の生活について、厳しく時間管理を行った。この生活様式を受け入れなかった門弟は、教団を離脱するように圧力がかけられた。また、脱退した信者には、金銭的援助があった。リフトンは、アップルホワイトは信者達に「量より質」を求めている一方で、彼は時折多くの改宗者を得るように話していたと述べている。 時折アップルホワイトとネトルズは、教団を突然大胆に変えることがあった。テキサス州でのある例では、やがてやって来る地球外からの来訪者について話し、夜通し外で待つように指導した事もあった。この時、彼らはこれが単なるテストであると知らせている。ラリックは、彼らの生徒の帰依を強める方法であると見做しており、彼らの言質は、彼らが見たものとは関係なくなっていることを保証しているとした。信者達は、アップルホワイトの是認を切望するようになり、彼はそれを利用して彼らを操った。 1980年、アップルホワイトとネトルズは約80人の信者を獲得した。信者達の多くはコンピューター関係の仕事についていたり、カーエンジニアとして働いていた者たちだった。1982年、アップルホワイトとネトルズは門弟たちに、家族と連絡を取ることを許可した。1983年になると、彼らは門弟たちのコントロールはより緩やかなものとなり、母の日には、信者達は親族との面会に向かうことも許された。彼らは短期間の滞在しか許可されておらず、僧院でコンピューターについて学んでいるように家族に話す様に指導されていた。これらの休暇は、アップルホワイトらの門弟たちが自発的に教団にとどまったことを示し、親族らを宥めることを目的としていた。
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