低迷とパルプ時代の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:24 UTC 版)
「パルプ・マガジン」の記事における「低迷とパルプ時代の終焉」の解説
第二次世界大戦中の紙不足がパルプ・マガジン業界に衝撃を与え、出版コストの上昇にともなって業界の低迷が始まった。1941年のエラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジンを矯矢として、多くのパルプ・マガジンが従来より小さく薄いダイジェストサイズに移行しはじめた。ストリート&スミス社は普通の雑誌市場に主力を移行するために自社のほとんどのパルプ・マガジンを廃刊にした。 パルプ・マガジンの形態の低迷は費用と価格の問題だけではなく、漫画雑誌やテレビ、ペーパーバック小説などとの激しい競争にさらされた結果でもあった。戦後豊かさを増したアメリカでは紙質の良い雑誌とパルプ・マガジンの価格差はもはやたいして重要な問題ではなかったのである。 パルプ・マガジンの時代は、1957年にかつての主要な業者だったアメリカン・ニュース・カンパニー (American News Company) が破産したことをもって終わったとされる。ブラックマスク、シャドウ、ドック・サヴェジ、 ウィアード・テイルズといった多くの前世代の人気パルプ・マガジンもすでになくなっていた。ごくわずかにSFやミステリのパルプ・マガジン(アスタウンディング やエラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジンなど)でダイジェストサイズの形態でその後も刊行され続けたものもある。2005年に2300号を越えたドイツの週刊のSFパルプ・マガジンペリー・ローダンのように、長い連載物ではパルプ・マガジンの形態がそのまま使われ続けている例もある。 その誕生から凋落までの数十年間に出版されたパルプ・マガジンのタイトルは膨大な数に上る。ポピュラー・パブリケーションズ社 (Popular Publications) のハリー・スティーガー (Harry Steeger) は、多くのタイトルが短命に終わったとはいえ彼の会社が300以上のタイトルを出版し、最盛時には月に42タイトルにも及んだと証言した。パルプ・マガジンはかように短編小説の市場を寡占していたので、パルプ・マガジン産業の凋落は小説出版のあり方にも影響を与えた。普通の雑誌や小説の需要の減少もあいまって、作家志望の人々が自分の作品を出版するには長編小説やそれに匹敵するボリュームの短編アンソロジーを書かねばならなくなったのである。
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