伯備線保線作業員死傷事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/06/15 11:25 UTC 版)
伯備線保線作業員死傷事故(はくびせんほせんさぎょういんししょうじこ)
- 1969年2月13日に発生した事故 - 日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#伯備線保線作業員死傷事故
- 2006年1月14日に発生した事故 - 日本の鉄道事故 (2000年以降)#伯備線保線作業員死傷事故
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伯備線保線作業員死傷事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「伯備線保線作業員死傷事故」の解説
1969年(昭和44年)2月13日14時18分ごろ (鉄道人身障害事故) 鳥取県の国鉄伯備線の上石見 - 生山(当時下石見信号場は未設置)の単線区間、上石見駅から700 m離れた線路内で保線作業中だった国鉄米子保線区の作業員が岡山発米子行きの普通ディーゼル列車943Dに接触し、作業員6人が死亡した。 事故当時、普通列車は濃霧で29分遅れていた。 作業責任者が上石見駅の助役に問い合わせたところ「下り列車が遅れているので、行き違い駅を変更し、先に上り貨物列車がそちらを通過する」と回答したため、上り列車を警戒していた。しかし、数分後所定どおりの行き違い駅で列車交換することになり、実際には下り列車が現場を通過することになったことにより、事故が発生した。 駅の助役が再度の変更を連絡しなかったのだが、当時の業務規定では駅から現場の保線要員に連絡する義務が無かったこと、また当時の工事用携帯電話は500 m置きに設置された電柱のジャックボックスに接続する必要がある有線電話であったため、現場のジャンクションボックスと作業場所が離れていた場合は駅から発信しても現場保安要員が着信に気付かない可能性もあった。 そのうえ、上石見駅では普通列車の運転士に保線工事中である旨を注意喚起しなかったうえ、現場が下り勾配のカーブで、運転士が視認したときには30 mの先であったため、減速することができなかった。また保線要員側も下り列車に警戒していなかったため、待避が間に合わなかった。 国鉄はこれらの教訓から列車接近警報装置の設置などの安全対策が図られた。また現場近くに「触車防止地蔵」という慰霊碑が建立されている。なお、同線では2006年1月にも同様の接触事故が発生しており、この時には3人が死亡している。 伯備線保線作業員死傷事故(2006年)も参照
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