伝統的連句
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:21 UTC 版)
正岡子規にはじまる近代俳句の隆盛のなかで、連句に注目した早い時期のものとして、寺田寅彦の随筆があげられる。また、幸田露伴は、芭蕉七部集の評釈を行い、芭蕉の歌仙の構造を明らかにした。 こうした戦前の業績をうけて、現代の作家、詩人たちによる連句の試みが、1960年代後半からはじまった。その中心になったのが、大岡信、丸谷才一、安東次男、石川淳たちによる歌仙の興行であった。[独自研究?]歌仙を巻いて、その後で付け合いの雰囲気や意図について解説対談を行うという形式によって、連句の可能性が追求された。大岡は、〈連詩〉という概念をここから発展させて、外国語での詩作の可能性も追求している。石川・安東・丸谷は亡くなったが、大岡、岡野弘彦を中心に雑誌『すばる』や『図書』誌上を中心に連句興行が続けられている。
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