伝統文化への傾倒と庇護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:24 UTC 版)
杉山は義太夫節に関しては玄人はだしであり、明治大正期の義太夫界の大立者であった竹本摂津大掾や竹本大隈太夫らと親しく交際し、それらから聞いた芸の真髄を書き記した『浄瑠璃素人講釈』という著作を遺した。自らも義太夫を語り、伊藤博文にとって死出の旅立ちとなった満州渡航の前には、伊藤の大森恩賜館に招かれて、送別の義太夫を語った。杉山の死後には、女義太夫の竹本素女が追悼義太夫会を開催し、『杉山其日庵遺作浄瑠璃集』が編まれた。 日本刀の蒐集鑑定も杉山が傾倒した趣味のひとつで、『刀剣譚』を執筆(『其日庵叢書第一編』に収録)したほか、若干の随想を遺している。晩年の伊藤博文が刀剣を趣味としたのは、杉山の勧めによるものと言われる。 相撲界に対しても様々な支援を行っている。関東大震災で国技館が焼失した際には再建資金の調達を援助したほか、日本相撲協会の設立や天皇賜杯授与の聴許などの動きに、年寄春日野(後の入間川)を助けて相撲界の振興に力を注いだ。 政財界人との交際の場であった茶の湯に関しても造詣が深く、「電力の鬼」と呼ばれた松永安佐ヱ門が六十歳を過ぎてから茶の湯に熱中したのは、杉山が茶器を贈ってそのきっかけを作ったものである。
※この「伝統文化への傾倒と庇護」の解説は、「杉山茂丸」の解説の一部です。
「伝統文化への傾倒と庇護」を含む「杉山茂丸」の記事については、「杉山茂丸」の概要を参照ください。
- 伝統文化への傾倒と庇護のページへのリンク