伝統日本馬術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 04:30 UTC 版)
日本での馬術は武芸十八般にも数えられているように、武芸の重要な科目であった。乗馬は苗字帯刀と同じく武士の特権であり、明治4(1871)年4月19日に平民に乗馬が解禁されるまで、騎乗する権利は身分により制限された。武芸であることから日本の馬術流派の多くは騎乗したまま弓を扱う騎射の技術もを含んでいる。 特色として、蹄鉄が伝えられていなかったので、わらじをはかせていたか、蹄が硬いので何もはかせずに乗っていたことがあげられる。また、去勢の技術が伝えられていなかったこと、戦場には人を齧るくらい元気な牡馬が尊ばれていた。このような癖の強い「悪馬」の調教や乗馬法も考案され、「悪馬新当流」のように流派名とした例もある。 日本の古来の乗馬位置は西洋馬術と反対の右乗りである。平治物語絵巻や1887年のイギリス・イラストレーテッド・ロンドン・ニュースなど古くから明治初期まで日本人が馬には右から乗っていたことを示す絵画が存在する。 競技種目としては流鏑馬、笠懸、打毬などがある。
※この「伝統日本馬術」の解説は、「馬術」の解説の一部です。
「伝統日本馬術」を含む「馬術」の記事については、「馬術」の概要を参照ください。
- 伝統日本馬術のページへのリンク