伝播・復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:15 UTC 版)
12世紀から13世紀にかけてスリランカから東南アジアに大寺派の仏教が伝来し、現在でもその伝統は根強く維持されている。 スリランカではその後、16世紀以降のポルトガル・オランダ・イギリスによる植民地化によって仏教が衰え、18世紀からタイやビルマの仏教を介して上座部仏教を復興した。現在は、 シャム・ニカーヤ(シャム派、1753年設立) アマラプラ・ニカーヤ(アマラプラ派、1803年設立) ラーマンニャ・ニカーヤ(ラーマンニャ派、1864年設立) の三つの宗派に分かれているが、いずれもタイとビルマに因んでいる。 まずシャム派は、タイ(アユタヤ王朝)のマハーニカーイのウパーリ長老一行がキールティ・スリー・ラージャシンハ王によって招請され、1753年に受具式が行われたことで成立した。しかし、インド由来のカースト制が独自の形で根付いていたシンハラ人社会の混乱を懸念した王は、受具式への参加を最上位のゴイガマ(農民)カーストにしか認めなかった。このことが続くアマラプラ派成立の契機になった。 シャム派の制限を受け、非ゴイガマ・カーストの人々は、ビルマ(コンバウン王朝)の首都アマラプラへ赴き受具式を受けた。その後帰国し1803年に受具式を開始した。こうしてアマラプラ派が成立した。 カースト制限を設けるシャム派にも、村住で因習にまみれるアマラプラ派にも満足できなかったアンバガハヴァテー・サラナンカラは、独自にビルマへと赴き、受具式を受け、帰国後1864年にラーマンニャ派を設立した。森林修行、戒律重視、理想主義的な志向を特徴とする。ラーマンニャ派は、当初はアマラプラ派内の改革派といった程度の存在だったが、神智学協会がもたらしたスリランカ国内の宗教改革の波に乗って勢力を拡大した。 1881年には、スリランカへの赴任経験を持つ英国公務員リス・デービッズによって、ロンドンにパーリ聖典協会(Pali Text Society, PTS)が設立され、その刊行物によって、上座部仏教やパーリ語経典は、世界的に知られるようになった。
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