伊予水力電気の設立
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電気会社の構想は1894年(明治27年)ころからはじめられた。当時各地の電気会社(電力会社)は火力発電が主力であり、水力発電は1891年(明治24年)に琵琶湖疎水を利用した蹴上発電所が日本初の営業用水力発電であった。小林は御手洗川を利用して水力発電にしようと研究をはじめていた。そして水源地を探し、技師を求め、1897年(明治30年)には河川使用の申請を出すことができた。そして1900年(明治33年)4月に電気事業経営会社設立の許可がおりた。 ところが資金調達がはかどらない。やむなく資本金を30万円から20万円、さらに15万円にしても集まらなかった。そうして時間だけが過ぎていたが、1901年(明治34年)7月に才賀藤吉が道後にくることがわかった。発起人たちは早速面会を申し込み窮状を訴えた。この結果資本金を13万円にして半分は才賀藤吉が引き受け、残りは発起人らで工面すること、工事及び機械の調達は才賀電気商会で行うことで折り合いがついた。同年12月には会社設立。1902年(明治35年)10月に発電所が完成し、1903年(明治36年)3月に開業式を行うことができた。
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