企業統廃合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:27 UTC 版)
1982年7月1日、トヨタ自工とトヨタ自販が合併し、現在のトヨタ自動車株式会社となった。新会社の社長に喜一郎の長男・豊田章一郞が就任し、佐吉の甥である英二は会長に退いた。国内市場でビスタ、マスターエース(1982年)、ハイラックスサーフ、MR2(1984年)、カリーナED(1985年)、スープラ(1986年)、セルシオ(1989年)、ウィンダム(1991年)など次世代のトヨタを担う車種を発売し、国内販売高トップの座を強固にした。 1989年にアメリカを主要マーケットとしたトヨタの上級ブランド「レクサス」を立ち上げた。レクサス・LS (日本名、セルシオ) の成功は、日本車が高級乗用車としても通用することを証明した。 1992年に章一郞は社長を退き弟の豊田達郎が社長に就いた。バブル経済の崩壊は自動車業界を直撃してトヨタも影響を受けた。時代はトヨタの得意とするセダン・クーペなどの高級感・格好良さより、SUVやミニバンなどの実用性を重視する分野へと移り変わって行き、シェアは一時40%を切った。トヨタはセダンに力を入れる一方、ミニバンのエスティマ(1990年)や、クロスオーバーSUV(CUV)の先駆けとなるRAV4(1994年)を投入して状況に対応した。不況の続く中、1995年に達郎は高血圧で倒れ、副社長の奥田碩が社長職を継いだ。
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