以降の流れ
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児玉庄氏(=児玉党)の本宗家を継いだ本庄氏は、南北朝時代(14世紀中頃から末)では南朝廷側=新田義貞に就き、児玉党の弱体化に繋がった。15世紀初めの上杉禅秀の乱では、禅秀(犬懸上杉氏)に味方し、所領を没収されるもなお足利氏に抵抗を続けた。15世紀中頃になると、山内上杉氏に代々仕えることとなるが、五十子の戦い以降、上杉氏は負け戦が続き、河越夜戦を初め、北条方に押され続けた末、本庄氏は後北条氏に属すこととなり、小田原征伐で没落することとなる。南北朝時代、南朝に属したことで新田氏の家臣団との親交があり、戦国時代ではその残された家臣達の末裔を本庄に移住させることによって、城下町を一から形成させることに成功している。これは後の本庄宿の基盤となる。また、戦国期、本庄氏一族の中には成田氏の家臣となった一団も存在する。
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以降の流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 00:46 UTC 版)
「日本における特許取得手続」の記事における「以降の流れ」の解説
特許出願を行った当初は出願内容の秘密が担保されるが、出願から1年6ヶ月が経つと出願内容が公開する出願公開がある。 また特許庁における審査は、出願が法令で定めた形式に合致している事を確認するもの方式審査と、特許の中身を審査する実体審査(あるいは単に「審査」出願29年度(p2))とに分かれ、前者は出願後に自動的に審査が始まるのに対し、後者は審査請求という、実体審査の実施を請求する行為によって開始される出願29年度(p2)。こうした審査の結果として、若しくは出願人の自発的な意思により、出願書類を補正する行為を手続の補正(特28年十七条)という。手続の補正は行える時期と種類が詳細に決まっている。 以上で概説した事項を次節以降で順に説明していく。
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