代々木ゼミナールでの経歴について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 13:57 UTC 版)
「吉野敬介」の記事における「代々木ゼミナールでの経歴について」の解説
1991年の著書では「ふつう、代ゼミ講師になるのにテストはない。(いまは簡単なテストがある。ただしみんな落ちているが)」「代ゼミはふつう、新卒の採用はしない。採用するとき、テストをすることもない」とされ、「あとから聞いた話だが、代ゼミの竹村副理事長も、元暴走族のオレを採用するにあたり、不安があったらしい。テストを受ければ落ちるかもしれないから、それで不採用を納得してもらおうと思っておられたそうだ」という経緯が書かれているが、2年後の著書では他に受験生がいる描写となり、その後も「オレが代ゼミの採用試験を受けたときも、300人くらい受けて受かったのは俺1人」「古文の試験で300人」と述べるなど、現在に至るまで代ゼミ史上最年少・過去最高得点で合格した肩書きとなっている。 上記と併せて、1991年の著書では「話はそう都合よく進まず、オレは講師採用のテストを受けなければならなくなった」と書かれていたが、2009年の著書では「じつは試験を受けなくても講師になることはできた。 オレはあくまで採用試験にこだわったのだ」と、試験を受ける必要はないものの採用試験合格という肩書きを得るためにあえて受けたという旨が書かれている。 大学4年時に代々木ゼミナールでチューターをやっており、開講したチューターガイダンスでは「200人入る教室は満席」と書かれていたが、別の本では「300人の教室が満杯」と変更されている。また、チューターガイダンスの時期も「大学4年の8月の終わりごろ」以降の話だったのが、別の機会では大学3年のときの話としている。また、その開始時刻も「午後1時20分から」としていたのが、別の機会では「3時10分から4時40分」としている。さらにチューターを経験した影響として、「正式に代ゼミに採用される前から、チューターをやっていたことなどもあり、オレの授業を選んでくれる生徒も多かった」と書かれていたが、2008年の著書では「吉野敬介なんて誰も聞いたことがない」と、チューターとしての影響が無くなっている。 さらに初めての授業の描写についても、「1年目の、初めての授業。400人を収容する教室で、おれの目の前にいる生徒はたったの5人だった」となっていたが、別の著書では「第1回目の授業は、15人ほどの小さな教室だった」「第1回目の授業は、教室にわずか15人ほどしかいなかった」と、教室の規模が大幅に縮小し、受講生の人数が10人増えている。 2008年著書では、「代ゼミ時代の16年間で休講は3回」と述べていたが、11か月後に出した著書では、「休講は2度あるが、一度は病欠、もう一度は親友の結婚式である。この2つの例外を除けば、授業はまったく休んでいない」と休講回数が1回減っている。
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