仏門への帰依
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/20 01:31 UTC 版)
「イグネイシャス・ティモシー・トレビッチ・リンカーン」の記事における「仏門への帰依」の解説
中華民国では3つの督軍で客分となりつつも神秘的な体験を経て、1920年代後半に仏教に改宗し僧侶となる。1931年には照空(チャオ・クン)と名乗って、上海に自ら主宰する僧院を設立する。ここでは僧院に入った者から全財産を巻き上げ、尼僧を誘惑していた。 1937年には日本に忠誠を誓うようになり、日本政府のために反英プロパガンダをおこなった。第二次世界大戦が勃発するとナチス・ドイツと契約を結び、東アジアの仏教徒に対する反英宣伝放送に協力している。極東におけるゲシュタポの責任者だったヨーゼフ・マイジンガーSS大佐からは、この任務について激励を受けていた。ナチスがチベットで反英宣伝をおこなった際、トレビッチはドイツ人工作員への随行を真剣に提案されたこともある。 トレビッチの任務を熱心に後押ししていたのはハインリヒ・ヒムラーとルドルフ・ヘスだったが、ヘスが1941年5月に独断で英国と和平協定を結ぶべく単身スコットランドに飛んだ事件の後はヒトラーが神秘主義から遠ざかったため、ドイツ政府によるトレビッチへの支援は打ち切りとなった。しかしトレビッチはドイツと日本のために反英宣伝活動を続け、1943年に上海で病没した。
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