今田耕司と中山秀征をめぐるエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 05:04 UTC 版)
「殿様のフェロモン」の記事における「今田耕司と中山秀征をめぐるエピソード」の解説
2011年の『FNS27時間テレビ』などでの中山、今田らの発言によると、当時は中山と今田の仲は決して良くなかったという。それは番組開始にあたって双方の番組や出演者に対する受け取り方の違いがあったからという。 中山は当時テレビ番組に数多く出演していた売れっ子であった。番組開始に当たって、中山は当時の番組プロデューサーであった吉田から「『オールナイトフジ』の後継番組をやる」「可愛い女の子をいっぱい呼んで、お酒を飲みながら出演するような気楽な番組」と聞いていた。その一方、今田は当時、関東のテレビレギュラー番組は『ダウンタウンのごっつええ感じ』程度で、売れるために必死だったという。 このように双方のモチベーションが異なっていたため、すれ違いが生じていた。今田は当時を振り返り「番組内は『戦い』だった」と語り、中山も「こっちがプロレスで挑もうと思ったら、相手はUWFだった」と例えている。当時は中山、今田は一緒に飲みに行くこともなく、番組終了後も約17年間プライベートでの交流は無いままだった。中山の欠席時にメイン司会を代行した今田は中山との微妙な関係を隠すことなく番組内でネタにしていた。 その後、2011年にザブングル・松尾陽介の仲介により、中山と今田は初めて一緒に飲みに行くことになる。その席で、当時のお互いの想いを吐露しあい、和解に至ったとされている。 中山と今田による和解から2年後、週刊誌『女性自身』内の「中山秀征の『語り合いたい人』」のコーナーに今田が出演し、当時のことを振り返りながら対談した様子が記載されている。その際に語ったのが、番組に対するスタンスの違いが生じた今田は後に考えを改め「『ラジかるッ』はむちゃくちゃ面白い番組だったのに、なんで終わったんだろうね」「いま考えたら、あの当時(『殿様のフェロモン』の頃)からテレビのことをわかってたのはヒデさんだった。今の自分だったら理解できるけど、あの当時はまったく理解できてなかったんだよ」「『あのときの俺は間違ってた』って今はハッキリ思う」「当時いちばんスターの秀ちゃんが、いちばん被害を受けたと思う。ほんまに申し訳ないとしか言いようがない」と反省の弁を語っている。
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