仇討ちの決行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:54 UTC 版)
侍所に入った兄弟は、寝ていた工藤祐経と往藤内の姿を確認する。十郎は太刀で祐経の肩を刺した上で や、殿、宮藤左衛門尉(註:工藤祐経)、これ程の大事の敵を持ちながら、汚くも寝入りるものかな。起きよや、や、殿(巻九) と起こす。起きた所を十郎は重ねて斬り、五郎もそれに加わり討ち果たす。往藤内は太刀の音に驚いて起き上がり兄弟を諭すも、十郎は「沙汰に及ばず」と述べ同じく討ち果たした。 そして、伊出の屋形では騒ぎを聞き付けた次の10人の人物と斬り合いとなった(十番切)。その人物は大楽弥平馬允・愛敬三郎・岡部五郎・原三郎・御所黒矢五・海野小太郎行氏・加藤太郎・橘河小次郎・宇田五郎・臼杵八郎である。 まず大楽弥平馬允は十郎に斬られたため逃げ、愛敬三郎は五郎に右肩を斬られ退いた。岡部五郎は一打も出来ないまま十郎に指を斬られたため退く。次に原三郎が五郎に肋骨二本を斬りつけられ退く。やがて御所黒矢五が走り向かって行ったが十郎が追いかけて来たため逃げたところ、後頸を斬られ足早に逃げた。 海野小太郎行氏は十郎と打ち合いとなり、ここに加藤太郎が加わった。十郎が二人を相手する展開の中で五郎が加勢し、五郎に胸を斬られた加藤は退いた。直後に海野は五郎に背中を斬られ退き、橘河小次郎は五郎に臂を斬られ退いた。宇田五郎は十郎と打ち合いとなり、右肘を斬られ退く。臼杵八郎は五郎と打ち合いとなった末に首を刎ねられた。 暫く時をおいて用樹三郎が押し寄せてきたが、五郎に右肩を斬られ退く。次に一河別当次郎宗光が押し寄せたが五郎に腿を斬られ退いた(用樹三郎や一河別当次郎宗光らは十番切に含まれず番外という扱いがなされる)。そして新田四郎との打ち合いとなる。 新田四郎が小鬢を刎て次の刀に右の小臂を切てけり(中略)屍をば駿河の国富士野の裾、伊出の屋形に曝しつつ、名をば後代に留むべしと、面も替らず打合けり(中略)その後は程もなく気も留りぬ(巻九) 十郎は新田四郎と壮絶な斬り合いとなり、その様子は「互ひに打物の上手共」と評される。新田は十郎に髪と臂を斬られるが怯むことがなく「名をば後代に留むべし」と意気込み顔も変えず打ち合いを続けた。しかし既に多くの敵と対峙していた十郎は疲労が甚だしく、やがて四つん這いになったところで片腹と右臂を原三郎に斬られた。そこで新田に致命傷を負わされ息絶える。十郎は最後の言葉として五郎に「君の御前近くうち上つて具に見参に入り参らせよ」と述べ、頼朝の御前へ向かうよう伝えた。。 御屋形の御前なる大幕を打挙げて樋と入る。五郎も連いて入らむとする処に、五郎丸と云ふ童のありけるが、大力なり(中略)五郎丸叶はじやと思ひけむ、「敵をばかくこそ懐け、得々」と呼りければ、五郎これを聞て腰の刀を捜れども運の尽きぬる上はいづれの戦にや落としたりけむ、腰にはなかりけり。力及ばずして組み合ふ処に…(巻九) 堀藤次は五郎を打とうとするが、五郎が飛びかかると頼朝の屋形へ逃げた。五郎は頼朝の屋形への侵入を果たしたが、入り口で頼朝のお気に入りの大力な五郎丸に捕まってしまう。頼朝は五郎を御厩の小平次に預け、五郎は柱に縛り付けられた。
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