人物評について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 16:40 UTC 版)
「トマ・プレリュボヴィチ」の記事における「人物評について」の解説
以上の記述は、大半が15世紀の記録『ヨアニナ年代記』に基づくものである。年代記の作者は教会人であり、トマの人物と政策に激しい敵意を抱いていた。そのためトマは、典型的な暴君として冷酷、残虐、貪欲、好色、男色(当時の教会人はしばしばこの行為や性向を「悪」として敵対者への攻撃に用いた)などの汚点をもって描かれ、その治世は暴政・圧政として描かれている。しかしこのような著作におけるトマの人物像は、もちろん疑問を持たれてしかるべきであるし、彼の政策もまた、相次ぐ反乱と外敵の侵入に対処し、脆弱なセルビア人少数支配の困難さを克服するための苦肉の策であったと評することもできよう。 トマはヨアニナ城塞地区内に葬られた。1795年にテペデレンリ・アリー・パシャがヨアニナに宮殿を造営した際、その墓が発見されたが、現存はしていない。トマが妻マリアと共にメテオラの大メテオロン修道院に奉献したイコンは、現在はクエンカ(スペイン)の大聖堂(カテドラル)に所蔵されている。本来は献呈者夫妻の肖像も描き込まれていたようであるが、現在その部分は失われ、銘文のみが残されている。
※この「人物評について」の解説は、「トマ・プレリュボヴィチ」の解説の一部です。
「人物評について」を含む「トマ・プレリュボヴィチ」の記事については、「トマ・プレリュボヴィチ」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から人物評についてを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から人物評について を検索
- 人物評についてのページへのリンク