京都寿司組合活動の礎を築く
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「中島清次郎」の記事における「京都寿司組合活動の礎を築く」の解説
1958年(昭和33年)に京都府寿司事業協同組合組合長を退任後は、常任相談役に就任する。助言・進言を惜しまず時には苦言を呈することもあったが「京都寿司業界の重鎮」として尊敬を集める。 1962年(昭和37年)11月、京都で業界初の融資、福利厚生、販売促進等の事業の為「京都府鮨環境衛生同業組合」(後に「京都府寿司生活衛生同業組合」に移行)が設置され、中島は初代理事長に着任する。 心血を注ぎ、時代の流れにあわせて変化させ育て上げた組合活動を見守りながら、1972年(昭和47年)4月16日、74年の生涯を閉じる。法名は「大智院顕岳清秀居士」、生誕地東京の台東区谷中に在する護国山尊重院天王寺にある中島家代々の墓所に眠る。 故人生前の功績に対し「組合公葬」が決定され、1972年4月21日、新京極誓願寺にて全国の鮨組合長・三長会役員・関係官庁・友好団体・取引商社・田中伊三次他、所縁の国会議員ら関係者の参列のもと盛大に執り行われた。
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