五線譜演奏のパイオニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 17:04 UTC 版)
「三味線豊吉」の記事における「五線譜演奏のパイオニア」の解説
豊吉の名を売り、また彼女の一番の功績は、流行歌のオーケストラ伴奏に三味線奏者として参加したことである。三味線音楽には流儀ごとの記譜方法はあるものの、五線譜を用いる流儀・奏者は皆無であった。 豊吉もレコーディングに参加するようになった当初は全く五線譜が読めず、レコーディング前日に渡された譜面を手に、五線譜に詳しい人を訪ねてはピアノなどで実際の音を出して貰い、耳で覚えた物を稽古をして本番に臨んでいたが、仕事量の増加によって追いつかなくなり、また当時はマイク1本をオーケストラ全員で囲んで録音する一発録音方式だったため、自分がミスをしては他の楽団員にも迷惑をかけると考えたことから、NHKに出入りしていた関係で懇意であった民謡研究家で作曲家の町田嘉章(代表曲『ちゃっきり節』など)に五線譜の読み方を師事し、習得した結果、前日または当日に渡された五線譜を短時間で解読・稽古して本番に臨めるようになった。 ただ、中年を過ぎてから五線譜の読み方を習得したためか、晩年まで譜面に対しての不安は付き纏ったようで、豊吉は少しでも早く譜面が欲しがり、編曲家に会うたびに「早く譜を下さい」「先生、譜を下さい」と懇願するので、『譜』と『麩』(金魚のエサ)を掛けた編曲家から「また金魚が来たよ」と笑われたと自著に記している。
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