五大ファミリーの源流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/20 18:39 UTC 版)
「五大ファミリー」の記事における「五大ファミリーの源流」の解説
1.パレルモ派閥 米国に移民を運ぶシチリアの代表的な玄関がパレルモであり、米国の主な入港地がニューヨークだったため、ニューヨークにはパレルモ系のコミュニティが最も早く形成され、1880年代には既にパレルモ出身者のマフィアサークルがあった。1898年までニューヨークとブルックリンが別々の市だったため、一説にそれぞれ独立した派閥を形成したとされる。マンハッタン(ニューヨーク)では、ロウアー・マンハッタン(ロウアーイーストサイド、イーストビレッジ)やイースト・ハーレムを拠点にした。ブルックリンでは臨海区や南部にテリトリーを形成した。主なリーダーにイニャツィオ・ルポ、ジョゼフ・バルサモ、ジュゼッペ・フォンタナ、サルヴァトーレ・ディベッラ、サルヴァトーレ・ダキーラ、ウンベルト・ヴァレンティ、サルヴァトーレ・マソット、アクルーソ・ディミノ、アル・ミネオなどがいた。1910年のモレロの投獄後、数々の抗争で主役を演じ、一枚岩ではなく、非シチリア系の取り込みに積極的だった。ヴィンセント・マンガーノ、フランク・スカリーチェ、カルロ・ガンビーノらはこの派閥出身である。ダキーラ(パレルモ市出身)の組織はアル・ミネオ(同パレルモ市出身)を経てマンガーノ(同パレルモ市出身)一家となった。一方フォンタナ(パレルモ近郊ヴィッラバーテ出身)の組織はダキーラまたはディベッラを経て1920年代半ばプロファチ(ヴィッラバーテ出身)に受け継がれ、プロファチ一家となった。 2.コルレオーネ派閥 ジュゼッペ・モレロ率いるモレロ一家が1900年代初頭から一大勢力を形成し、イースト・ハーレムを拠点にロウアー・マンハッタン、南ブロンクスに勢力を広げ、パレルモ派閥も多数取り込んだ。この一家の血縁者(ジュゼッペ・モレロ、ニコラス・テラノヴァ、ヴィンセント・テラノヴァ、チロ・テラノヴァ)の他、アントニオ・チェカラ、フォチュネート・ロモンテ、ヴィト・カッショ・フェロ、ガエタノ・レイナ、スティーヴ・ラサール、トミー・ガリアーノなどがいた。コルレオーネ近郊の町レルカラ・フリッディ出身のラッキー・ルチアーノ、メンフィ出身のマッセリアは、この派閥に属するとは見なされていないが、一家の形成過程から便宜上この派閥に入れることもある。モレロ一家は、ロモンテ兄弟、テラノヴァ兄弟、マッセリアを経てルチアーノが継ぎ、ルチアーノ一家となった。レイナは1910年代にモレロ一家より分派してブロンクスに拠点を築き、トミー・ガリアーノが継いでガリアーノ一家となった。ルッケーゼはパレルモ市出身でありながら若い頃モレロ一家と関係が深く、分派したレイナに追随した。 3.カステランマレーゼ派閥 ブルックリンの北部ウィリアムズバーグに最大のコミュニティを形成し、モレロ一家に次ぐ一大勢力を形成した。主なリーダー/幹部にニコラ(コラ)・シーロ、ヴィト・ボンヴェントレ、フランチェスコ・イタリアーノ、フランク・ガロファロ、ベンジャミン・ギャロ、マリアーノ・ギャランテ、フランチェスコ・ピューマ、ステファノ・マガディーノ、サルヴァトーレ・マランツァーノらがいた。この派閥は1900年代後半より、ボンヴェントレが結成した殺人集団グッドキラーズ中心に同郷のブチェラート一家との抗争に明け暮れ、アメリカ北東部各地で多くの殺人を請け負った。マッセリアが侵攻を企てるまで、パレルモ閥とコルレオーネ閥の長年の抗争に巻き込まれなかった。コラ・シーロが長年ボスを務めたが、ステファノ・マガディーノの傀儡と言われた。本当のボスは、マガディーノでもマッセリアと戦ったマランツァーノでもなく、ヴィト・ボンヴェントレだったと見られる。最終的にジョゼフ・ボナンノが継いでボナンノ一家となった。ジョー・アイエロ(シカゴ)、サルヴァトーレ・サベッラ(フィラデルフィア)、ガスパール・メッシーナ(ボストン)、ガスパー・ミラッツォ(デトロイト)など同郷分子がアメリカ北東部に散らばり、派閥の結束力が最も強かった。
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