丸谷才一の表記観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 00:38 UTC 版)
「日本語の世界16 国語改革を批判する」の記事における「丸谷才一の表記観」の解説
本書の「言葉と文字と精神と」で、丸谷才一は簡潔に新字体・当用漢字(常用漢字)に関する自分の見解を述べている。それによれば、次の三つからなる。 現代仮名遣いの和語の表記を変更した点は全く愚挙である。 漢語の仮名表記(字音仮名遣)を変更し、簡略化したことには賛同する。和語の表記と漢語の表記は別の基準でよい。 漢字の字体の簡略化自体は必要であるが、当用漢字(常用漢字)に挙げられているものには主観的に気に入らない字が多い。 全体的に新字新かなを非とするが、一部に留保をつけているのが特徴である。 しかし国語改革が文明全般に与へた災厄を言ふ前に、予備的な手続きとして、一連の改革が日本語に対してどういう弊害をもたらしたかを大ざつぱに調べてみよう。(わたしのこの文章は一般にさうなのだが、以下しばらくのところは特に、時枝誠記「国語問題のために」、福田恆存「私の國語敎室」その他の著作、伊藤正雄「国語の姿勢」を参照しながら書くことになる。)まづ新仮名づかひ。第一に読みづらくなった。日本語はもともと母音が五つしかなくて同音異義語が生じやすいのに、それを表面に押し出して、表記による区別をぐつとすくなくしたのである(後略) — 同書341p 次に、漢字の問題。しかし漢字関係の改変がもたらした弊害について述べる前に、その改変のうちわたしの肯定する二つの件について記さなければならない。さうでなければ公正を欠くことになろう。その第一は、字音仮名づかひを新仮名方式に直したことである。これは大賛成である。(中略)それゆゑ字音を新仮名方式に改めることは、国語改革以前の慣習を公式に認めたもので、極めて正しい態度と言はなければならない。 — 同書354p,355p 第二に、新字について。これは、双手をあげて賛成といふほどでないが、新かなづかひにくらべれば遥かに首肯できる。字画の多い字は読むにも書くにもかなりの労苦を強ひるからである。(殊に読む場合のそれははなはだしい。漢字はもともとその一字一字がある程度以上の広い空間を必要とするのに、新聞その他ではそこのところを無視して、うんと小さな字を使ひたがるからだ。)だが、そのことは当用漢字ないし常用漢字の字体を全面的に支持することを意味しない(後略) — 同書358p
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