中流平野部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:52 UTC 版)
中流部の地質は堆積土砂からなる沖積層であり、平野部に出てからしばらくの区間は周囲よりも川床の方が標高が高い天井川となっている。そのため古くは洪水が頻繁に起こっており、洪水の際は成富兵庫茂安が設けた日本最古の取水施設とされる石井樋の象の鼻や天狗の鼻などの荒篭(あらこ)で水の流れをゆるやかにし土砂を沈ませきれいな水だけを多布施川に取り入れ、尼寺林(水害防備林)によって土砂が振るい落とされながら徐々に溢れてゆく仕組みとなっている。これによって洪水被害も治まり、田畑に必要な水量も確保でき、農作物の収穫も安定した。周辺の田畑は洪水でも荒れることなくむしろ客土が増えて豊かになることから、村人は「洪水を喜んだ」とされるほどであった。 中流域は遊水機能を期待した広い高水敷などが築かれた。モウソウチク、メダケ、ヤナギからなる河畔林が豊富で、動植物の生息域にもなっている。また、ゴルフ場があるほか、佐賀市街に近い河畔として市民の憩いの場となっている。 長崎本線の橋から国道207号の嘉瀬橋までの約8kmの区間の河川敷では、毎年11月に熱気球の競技飛行大会と併設イベントからなる佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開催され、100万人近い人出で賑わう。 バルーン会場となる嘉瀬川荻野地区は海岸だった頃は千本松と呼ばれ、有明海の潮風による塩害防止のため松の木が植えられ松林は川上まで連なっていた。後に、成富兵庫茂安の指示で松林は伐採され、代わりに竹林が堤防に造成された。今は、堤防の竹林は嘉瀬川改修工事のため消滅した。現在は竹林は川上方面に残るのみ。
※この「中流平野部」の解説は、「嘉瀬川」の解説の一部です。
「中流平野部」を含む「嘉瀬川」の記事については、「嘉瀬川」の概要を参照ください。
- 中流平野部のページへのリンク