中村俊輔との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 05:25 UTC 版)
「ゴードン・ストラカン」の記事における「中村俊輔との関係」の解説
セルティックの監督に就任した当時、チームは中盤を省略するタイプのサッカーをコンセプトしており、技巧派のプレーメーカーとして知られたストラカンにとっては、それは不満が大きいサッカーだった。中盤をつなぐサッカーを実現すべく、ストラカンはイタリア・セリエAのレッジーナに所属していた中村俊輔の獲得に動く。ストラカンは、中村に対し「グラウンド上およびチーム世代間のギャップを埋めることができる選手」であり、「彼がひとたび(クラブ本拠地の)セルティック・パークでプレーすれば、なぜ私が彼にここまで執心したかをすぐに理解できるだろう」と期待感を述べた。中村がセルティックに入団すると、すぐに先発起用し、怪我か病気でない限り起用を続けていた。 2005-06シーズンにスコットランドリーグカップを制した試合後、2得点のショーン・マロニーについて尋ねられたにもかかわらず「それよりも中村のプレーを見たかい」と延々と中村を絶賛した。また、中村がリーグ戦でビューティフルゴールを決めたとき、その中村のゴールを見て思わず「彼は天才だ」と発言した。2007年、リーグ2連覇を決めた試合後にメディアに対してストラカンは「周囲が言うとおり、中村はタックルができない。ヘディングもできない。それがどうした。彼は天才だ。」とコメントしている。同シーズンに中村はマンチェスター・ユナイテッドを相手に2試合連続でフリーキックでゴールを決めるなどしてチャンピオンズリーグのベスト16進出に貢献し、個人でもスコットランドPFA年間最優秀選手賞とスコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞の双方を獲得して、自身の欧州での選手キャリアの中でトップレベルとみなせる結果を残した。 ストラカンと中村は2008-09シーズン終了後に両者ともセルティックを離れたが、リーガ・エスパニョーラ(スペイン1部リーグ)のRCDエスパニョールに入団した中村がチームの中で実力を発揮できず、出場機会が減少したのを見ると、2010年1月にストラカンが率いるミドルスブラFCはエスパニョールに対してレンタル移籍の正式オファーを出した。しかし、中村はこれを拒否してエスパニョールへ残留し、その後2月にJリーグ1部の横浜F・マリノスへ移籍した。
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