中島みゆきとの関わりとは? わかりやすく解説

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中島みゆきとの関わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 06:51 UTC 版)

工藤静香」の記事における「中島みゆきとの関わり」の解説

1988年リリースしたシングル、「FU-JI-TSU」を皮切りに中島みゆきより多くの詞の提供を受け、それらからヒット作多く生まれている。なお、中島これまで40人を超える歌手104作もの曲や詞を提供しているが、工藤への提供作品は2割強にあたる24作(最新作2021年12月発売配信シングルの「島より」)を占めており、最多である(これに次ぐのは研ナオコへの15作と、柏原芳恵への4作。詞・曲共に提供した数では研ナオコへの15作が最多)。 ソロデビューした当時中島みゆき担当していた渡辺有三ディレクターポニーキャニオン所属当時中島キャニオン所属だった)が工藤兼任することになったことと、デビュー前工藤渡辺より「中島みゆき松任谷由実竹内まりやなら誰が一番好き?」と聞かれ中島みゆき答えたことから縁が出来たとされるそれ以前より中島の曲に影響されたともいわれている)。工藤自身中島みゆきさんほど憧れる人はいない」と語っている。工藤中島初対面したのは20歳頃で、音楽雑誌掲載され対談であった工藤は、そのとき印象を「すっごく華奢な人だなって」「なんか地面から浮いているイメージ」と語っている。 デビューから工藤バックバンド務めていたミュージシャンは、ほとんどが中島みゆきバックバンド務めており、そして当時工藤の曲のほとんどを作っていた後藤次利も、中島とはかつてバックバンドだけでなく、編曲プロデューサーとして組んでいたミュージシャン仲間一人でもあった。 1996年11月7日発売されたシングル激情」より、それまで詞のみの提供だった中島が詞だけではなく、曲も提供するようになり、編曲瀬尾一三担当している。 2008年には、ソロデビュー20周年記念締めくくりとして、8月中島の曲のみをカヴァーしたアルバムMY PRECIOUS -Shizuka sings songs of Miyuki-』と、11月新曲シングルNIGHT WING/雪傘』を発表した2015年2月に、後藤次利中島と実に22年ぶりの楽曲制作をすることになり、中島作詞後藤作曲の曲を収めたアルバムMy Treasure Best -中島みゆき×後藤次利コレクション-』を発表した2021年3月に、前述の「MY PRECIOUS以来となる中島楽曲カヴァーアルバム青い炎』を発表同年12月には前述の『NIGHT WING/雪傘以来となる配信シングル島より』を発表した

※この「中島みゆきとの関わり」の解説は、「工藤静香」の解説の一部です。
「中島みゆきとの関わり」を含む「工藤静香」の記事については、「工藤静香」の概要を参照ください。

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