中央権力と半自律的な王たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:41 UTC 版)
「パルティア」の記事における「中央権力と半自律的な王たち」の解説
かつてのアケメネス朝と比較して、パルティアの政府は非常に分権的であった。アルサケス朝ではマルズバーン(marzbān)、クシャトラパ(xšatrap)、ディズパト(dizpat)などの役職が地方統治に関与していた。パルティアはまた、その内部に複数の半自律的な王国を内包していた。このような王国にはコーカサスのイベリア、アルメニア、アトロパテネ、ゴルディエネ(英語版)、アディアベネ、エデッサ(オスロエネ)、ハトラ、メセネ(カラケネ)、エリュマイス、そしてペルシスがあった。これらの国々の支配者たちは自国を統治し、中央の造幣局で生産された王朝の貨幣とは異なる独自の貨幣を鋳造した。このことはかつてのアケメネス朝と違わない。アケメネス朝もまた複数の都市国家を抱えており、同様に遠隔地のサトラップ(総督)は半独立的であった。ただし、ブロシウスによれば彼らは「王の権威を認め、貢物と軍事力を提供した。」。セレウコス朝時代には、半独立的な王朝による地方統治と、それがしばしば中央の支配に全く服さない状況が一般化した。この状態はパルティア後期の統治形態にも受け継がれた。パルティア時代のサトラップ(総督)たちはアケメネス朝時代のそれより小さな領土を統治し、恐らくは小さな権威と影響力しか持たなかった。 ブロシウスは西暦21年にアルタバノス2世によってスサの総督(アルコン)と市民に当ててギリシア語で書かれた手紙からの引用を紹介している。これにはヘタイロイ(友人)である特定の政府役人、護衛、そして財務担当官への言及がある。この文書はまた「地方の裁判と高位役人の任命について、王は総督に代わって介入し、事件を審査し、適切と考えるならば裁定を変更することができる」ことを証明している。
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