中央機構改編
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「大日本帝国陸軍の歴史」の記事における「中央機構改編」の解説
1885年(明治18年)12月、政府は太政官制を改め内閣制を採用した。これに伴い陸軍卿は陸軍大臣となり合わせて陸軍省の改組も行なわれた。1886年(明治19年)3月に従来の陸軍の中央軍令機構である参謀本部を陸海軍統合の中央軍令機関としての参謀本部に改められた。1893年(明治26年)に海軍軍令部が独立し平時は参謀本部と軍令部が並列して天皇に直隷されることとなる。これと同時に戦時大本営条例が制定され戦時には大本営が設けられ軍令部長は参謀総長の指揮下に入り戦争指導する体制が設けられた。 1885年5月には監軍本部が廃止され監軍部に改められたが有名無実の内に廃止された。1888年5月、前回の監軍部とは異なる監軍部が設けられた。これは天皇直隷の監軍を置いて陸軍の軍隊練成の斉一を規画することを目的とし、後の教育総監部の前身となった。この監軍の下には、将校学校監、騎兵監、工兵監、輜重兵監、が置かれた。
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