中央への栄転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:22 UTC 版)
1971年に復権して広東省省長、四川省省長・党委員会第一書記などを務めた。特に1975年から5年間、四川省党委第一書記時代に「四川経験」と呼ばれる経済改革を実施し、農家経営請負制を導入し、四川省では農業生産が飛躍的に向上した。万里が党委員会書記を務めていた安徽省と共に農村改革が進んでいたため、「米が食べたければ万里を探せ。メシが欲しければ、趙紫陽を探せ」という言葉まで出来て流行した。 これらの経済運営の実績を鄧小平に注目され、抜擢されることになる。この農家経営請負制は後に中国全土で導入され、中国は農業生産高で世界一となった。 第10期中央委員、1977年8月の第11回党大会で中央政治局候補委員、1979年9月の第11期4中全会で政治局委員、1980年2月の第11期5中全会で政治局常務委員、4月には国務院副総理と着実に昇進を重ねる。
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