中央の権力者に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 22:37 UTC 版)
「トマス・ウェントワース (初代ストラフォード伯爵)」の記事における「中央の権力者に」の解説
第1次主教戦争に敗れ、1639年6月にベリック条約を結ぶことになった国王チャールズ1世は、北部やアイルランド統治で実績を上げていたウェントワースを1639年9月にロンドンに呼び戻し、ロードと並ぶ筆頭顧問官に任じた。さらに1640年1月にはストラフォード伯爵に叙された。 チャールズ1世は再度の戦争を目指していたが、戦費の不足は明らかだった。そこでストラフォード伯は臨時課税のために議会を招集することを進言し、チャールズ1世もそれに賛成した。 こうして1640年4月13日に11年ぶりに議会が招集されたが(短期議会)、議会は臨時課税に応じる前に議会軽視の親政に苦情を申し立て、政治改革を求めた。国王は貴族院を取り込んで事態を打開しようとしたが、庶民院の反発がより強まったので5月5日には議会を解散した。ストラフォード伯も臨時課税可決の見込みなしと見て解散に賛成している。 一方アイルランドでは、1640年3月にアイルランド総督(ロード・レフテナント)に就任し、アイルランド議会を招集して臨時課税を認めさせることに成功している。またこの頃、アイルランド軍をスコットランド軍の進入や反乱防止に使おうとしているという噂が流れて「暴君ブラック・トム(Black Tom Tyrant)」とあだ名された。
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