中国研究の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/21 20:28 UTC 版)
「ジョン・キング・フェアバンク」の記事における「中国研究の発展」の解説
フェアバンクは1977年に退職するまでハーバードで教えた。彼は学界と一般向けの両方で中国に関する無数の著作を発表している。これらの多くは学界を超えて、広い範囲のひとたちに読まれた。彼はまた1953年には博士論文を拡大して、『中国沿海部における貿易と外交――条約港の開放、1842年-1854年』を刊行している。 ハーバードはアメリカにおける東アジア地域研究の頂点に君臨するようになった。こうした達成はフェアバンクの活動のなせるわざわざであった。例えば彼は東アジア研究センターを開設し、その所長を1955年から73年まで務めた。フェアバンクの退職後、このセンターは彼を記念して「フェアバンク中国研究センター」に改称された 。 フェアバンクは多くの大学院生たちを支援する研究資金を獲得し、ハーバードで数多くの有力な中国史家を育て、彼らをアメリカ内外の大学に送りこんだ。彼は在外研究をするために世界中からハーバードにやってきた研究者たちを歓迎し、研究資金の斡旋もした。たくさんの学者を集めた学術会議を開催し、その成果を編集して、世に問うた。彼は権威ある「ハーバード東アジア叢書」を実現させ、学生たちが終身雇用資格を得るために必要な博士論文出版の機会を用意した。彼は甘くはないが、同時に支援を惜しまない編集者であった.。フェアバンクは同僚のライシャワー、アルバート・クレイグとともに『東アジア文明の歴史』という圧倒的な影響力をもった教科書も執筆している。彼はジャーナリストや政府高官などを訓練し、また対中政策に関して政府とともに働くことで、ワシントン・D・Cの有力者たちと強い縁故を築いていた。
※この「中国研究の発展」の解説は、「ジョン・キング・フェアバンク」の解説の一部です。
「中国研究の発展」を含む「ジョン・キング・フェアバンク」の記事については、「ジョン・キング・フェアバンク」の概要を参照ください。
- 中国研究の発展のページへのリンク